[勉強]とは、“自分が前向きな姿勢でしたい事を頑張る事”“自分が[学力]を発揮したい事を頑張る事”を意味します。
※[学力]とは、“自ら学び、自ら考え、主体的に判断し行動する力”を意味します。
原語の中国語(漢語)を見ると、「勉強」と云う言葉は、本来、[勉強]とほぼ同じ意味だったようです。
「勉強」と云う言葉は「強いて勉める」、つまり、「無理して頑張る」と書きますが、一体、何を「無理して頑張る」のでしょうか?
どうやら原語では必ずしも「学習」「学問」ではなかったようなのです。
「勉強」と云う言葉が使われた最初期の例として、次の漢詩2首を挙げる事が出来ます。
一つは、白居易(772~846)の「東城尋春(東城に春を尋ぬ)」で、「年老いてはきたものの、まだまだ衰え切ってはいないのだから、無理して頑張って花見に来た!」と云う内容の漢詩です。
そして、もう一つは、欧陽脩(1007~1072)の「豊楽亭小飲」で、「花も娘も、自分の美しさを楽しんでいる。人生の楽しさは、無理して頑張ってでもしたい事をする事に在る。酒にも背を向けず、無理して頑張って人生を楽しもう!」 と云う内容の漢詩です。
どちらの漢詩でも、「勉強」と云う言葉は、“無理をしてでも自分のしたい事をする事”と云う意味で使われています。
このように、本来「勉強」とは、様々な事情を前にして諦めたり常識や体面に縛られたりせず、また、嫌々渋々ではなく自分の望むように、“無理をしてでも自分のしたい事をする事”を意味していたようです。
日本でも、明治時代、或いはもしかすると昭和になっても、「勉強」と云う言葉は、「学習」「学問」の意味ではなく、“無理をしてでも自分のしたい事をする事”の意味で使われていたようです。
例えば、江戸時代末期(幕末)の1861年、吉田松陰刑死後の松下村塾(現山口県萩市)では、生徒の一人、久坂玄瑞の提案によって、皆で師匠の著書の写本を作って売り、その売上を皆で助け合う為に貯める、と云う「一燈銭申合」と呼ばれる取り決めをしたそうです。
その提案文の中にも「勉強」と云う言葉が有ります。
その箇所を抜粋すると(画像は部分、抜粋箇所は黄色枠内)・・・
これは、一人一人が毎月60枚写本を書いて持ち寄る、と決めた後の一文で、「1日僅かに2枚ずつの事なので、そうまで実行出来ない事ではあるまい。」と云う意味です。
ここでも、「勉強」と云う言葉は、“無理をしてでも自分のしたい事をする事”と云う意味で使われています。
また、江戸時代から大正または昭和初期の広告チラシである“引札”にも、「勉強」と云う言葉を載せた物が数多く在ります。
次の引札はその一例で、香川県丸亀市の履物店の店頭風景を描いた物ですが、暖簾に大きく「大勉強」と書かれています。
これら引札に書かれている「勉強」と云う言葉は、「安売り」を意味しており、ここでもまた、「勉強」と云う言葉は、“無理をしてでも自分のしたい事をする事”と云う意味で使われている、と言えます。
なぜなら、店が安売りするのは、店が招いた“お客様”に喜んでもらう為であり、延いては、店が末永く繁盛する為だからです。
粟谷塾で言う[勉強]、“自分が前向きな姿勢でしたい事を頑張る事”“自分が[学力]を発揮したい事を頑張る事”は、この定義が示す通り、主体性が無ければ出来ません。
主体性を持つ為には、「自分を信じる事」、つまり、[自信]が不可欠です。
ですから、「[自信]を持てれば、[勉強]が出来る!」と言えます。
そして、[学力]とは“自ら学び、自ら考え、主体的に判断し行動する力”なので、主体的な[勉強]をすれば自ずと[学力]を鍛える事になり、「[勉強]が出来れば、[学力]が伸びる!」と言えるのです。
※本文中「一般の『勉強』と云う語の歴史」の章は、粟谷塾の旧公式ブログ「粟谷塾の夜話」の記事「『勉強』と云う言葉の意味」(2012/07/03)を加筆編集した物です。