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民間文教施設“粟谷塾”の理念

[勉強]

北斎卍(葛飾北斎)「百人一首乳母が絵説 猿丸太夫」
北斎卍(葛飾北斎)「百人一首乳母が絵説 猿丸太夫」
“奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声きく時そ 秋はかなしき”
1835年(天保6年)~1839年(天保10年)頃
※北斎は1834年~1836年頃に現在の横須賀市西浦賀に住んでいたそうです。

桑の葉のイラスト 定義 桑の葉のイラスト

[勉強]とは、“自分が前向きな姿勢でしたい事を頑張る事”“自分が[学力]を発揮したい事を頑張る事”を意味します。

[学力]とは、“自ら学び、自ら考え、主体的に判断し行動する力”を意味します。

桑の葉のイラスト 一般の「勉強」と云う語の歴史 桑の葉のイラスト

原語の中国語(漢語)を見ると、「勉強」と云う言葉は、本来、[勉強]とほぼ同じ意味だったようです。
「勉強」と云う言葉は「強いて勉める」、つまり、「無理して頑張る」と書きますが、一体、何を「無理して頑張る」のでしょうか?
どうやら原語では必ずしも「学習」「学問」ではなかったようなのです。

「勉強」と云う言葉が使われた最初期の例として、次の漢詩2首を挙げる事が出来ます。
一つは、白居易(772~846)の「東城尋春(東城に春を尋ぬ)」で、「年老いてはきたものの、まだまだ衰え切ってはいないのだから、無理して頑張って花見に来た!」と云う内容の漢詩です。
そして、もう一つは、欧陽脩(1007~1072)の「豊楽亭小飲」で、「花も娘も、自分の美しさを楽しんでいる。人生の楽しさは、無理して頑張ってでもしたい事をする事に在る。酒にも背を向けず、無理して頑張って人生を楽しもう!」 と云う内容の漢詩です。

東城尋春(東城に春を尋ぬ) 白居易

白楽天(白居易)の肖像画
老色日上面   老色 日に面に上り
歓情日去心   歓情 日に心を去る
今既不如昔   今 既に昔に如かず
後當不如今   後 当に今に如かざるべし
今猶未甚衰   今なお未だ甚しくは衰えず
毎事力可任   事毎に力任うべし
花時仍愛出   花時なお出づるを愛し
酒後尚能吟   酒後なおよく吟ず
但恐如此興   ただ恐る かくの如きの興も
亦随日消沈   また日に随って消沈せんことを
東城春欲老   東城の春 老いんと欲す
勉強一来尋   勉強して一たび来尋す
老人と満開の桜

豊楽亭小飲 欧陽脩(1007~1072)

欧陽脩の肖像画 狐仙(狐狸精・妖狐、娘に化けた狐の妖怪)と桜花
造化無情不択物   造化は無情 物を選ばず
春色亦到深山中   春色 また至る 深山の中
山桃渓杏少意思   山桃 渓杏 意思少なきも
自趁時節開春風   自ずから 時節を逐いて 春風に開く
看花遊女不知醜   花を看る遊女は 醜さを知らず
古粧野態争花紅   古粧 野態 花の紅と争う
人生行楽在勉強   人生の行楽 勉強に在り
有酒莫負瑠璃鍾   酒あらば そむくなかれ 瑠璃のさかずきに
主人勿笑花與女   主人 笑うなかれ 花と娘と
嗟爾自是花前翁   ああ なんじ 自ずから これ 花前の翁なり

どちらの漢詩でも、「勉強」と云う言葉は、“無理をしてでも自分のしたい事をする事”と云う意味で使われています。
このように、本来「勉強」とは、様々な事情を前にして諦めたり常識や体面に縛られたりせず、また、嫌々渋々ではなく自分の望むように、“無理をしてでも自分のしたい事をする事”を意味していたようです。

日本でも、明治時代、或いはもしかすると昭和になっても、「勉強」と云う言葉は、「学習」「学問」の意味ではなく、“無理をしてでも自分のしたい事をする事”の意味で使われていたようです。
例えば、江戸時代末期(幕末)の1861年、吉田松陰刑死後の松下村塾(現山口県萩市)では、生徒の一人、久坂玄瑞の提案によって、皆で師匠の著書の写本を作って売り、その売上を皆で助け合う為に貯める、と云う「一燈銭申合」と呼ばれる取り決めをしたそうです。
その提案文の中にも「勉強」と云う言葉が有ります。
その箇所を抜粋すると(画像は部分、抜粋箇所は黄色枠内)・・・

「一 一日僅に二枚宛の事なれば左まで勉強のならぬ事はあるまじ」
『松下邨塾一燈銭申合帳』部分 「一 一日僅に二枚宛の事なれば左まで勉強のならぬ事はあるまじ」

これは、一人一人が毎月60枚写本を書いて持ち寄る、と決めた後の一文で、「1日僅かに2枚ずつの事なので、そうまで実行出来ない事ではあるまい。」と云う意味です。
ここでも、「勉強」と云う言葉は、“無理をしてでも自分のしたい事をする事”と云う意味で使われています。

また、江戸時代から大正または昭和初期の広告チラシである“引札”にも、「勉強」と云う言葉を載せた物が数多く在ります。
次の引札はその一例で、香川県丸亀市の履物店の店頭風景を描いた物ですが、暖簾に大きく「大勉強」と書かれています。

明治時代の引札「諸履物商並にたび 丸亀市本町1丁目 高橋弥之助」…暖簾に「大勉強」の文字

これら引札に書かれている「勉強」と云う言葉は、「安売り」を意味しており、ここでもまた、「勉強」と云う言葉は、“無理をしてでも自分のしたい事をする事”と云う意味で使われている、と言えます。
なぜなら、店が安売りするのは、店が招いた“お客様”に喜んでもらう為であり、延いては、店が末永く繁盛する為だからです。

桑の葉のイラスト 民間文教施設“粟谷塾”の理念の中での位置付け 桑の葉のイラスト

粟谷塾で言う[勉強]“自分が前向きな姿勢でしたい事を頑張る事”“自分が[学力]を発揮したい事を頑張る事”は、この定義が示す通り、主体性が無ければ出来ません。
主体性を持つ為には、「自分を信じる事」、つまり、[自信]が不可欠です。
ですから、[自信]を持てれば、[勉強]が出来る!」と言えます。
そして、[学力]とは“自ら学び、自ら考え、主体的に判断し行動する力”なので、主体的な[勉強]をすれば自ずと[学力]を鍛える事になり、[勉強]が出来れば、[学力]が伸びる!」と言えるのです。

2016年11月02日(水)

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※本文中「一般の『勉強』と云う語の歴史」の章は、粟谷塾の旧公式ブログ「粟谷塾の夜話」の記事「『勉強』と云う言葉の意味」(2012/07/03)を加筆編集した物です。






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